日々雜雜談談

映画や本の分析。日常で感じたことの集合体

『アリータ: バトル・エンジェル』感想|サイボーグ少女と生身の青年の青春。白熱のモーターボールでの戦い!モーションアクトとCGの融合の最高峰

f:id:dappe828:20190224002850j:plain
アリータ: バトル・エンジェル


Alita: Battle Angel
原作: 銃夢(木城ゆきと


歴代世界興行一位『アバター』と二位の『タイタニック』を生み出したヒットメーカーキャメロン・ディアスとジョン・ランドーがプロデュース。


監督は『スパイキッズ』『シンシティ』のロバート・ロドリゲス。世界ではいち速く公開され、週末の興行成績は各国一位。やっと日本でも公開された(日本の漫画が原作なのに!)
いってみましょう。


ストーリー

舞台ははるかな未来、何本ものパイプラインによって天上に繋ぎ止められている空中都市「ザレム」の真下には、ザレムから吐き出された廃棄物の山があり、これを囲う形でゴミを再利用して生きる人々が「アイアンシティ」(クズ鉄町)を形成していた。


ザレムからの廃棄物を、人体をサイボーグとして改造することが一般化した世界。


クズ鉄町でサイボーグ専門医を開業しているイド・ダイスケは、スクラップの山から、少女型サイボーグの上半身を掘り出す。


彼女は頭部と胸部しか残っておらず、イドの医療によって意識を取り戻しはしたものの、過去の記憶をすっかり失っていた。


イドは自分の名前も分からない彼女に、「アリータ」と名づけ、失われた腕や足など体の代用品を与えて育て始める。


時おり見せる高い身体能力と激情ともいえる精神性。彼女は一体何者なのか。


まず、天にはユートピア。地上の荒廃していながらもエネルギーに満ちたアイアンシティの世界観に心奪われます。街の奥行きに、そこに生活する体の一部からほぼ全身がサイボーグの人々。そして生身の人間たち。そんな世界で記憶とボディを失ったサイボーグ少女は目覚めます。


サイボーグであるアリータは今回の映画制作でフルCGで描かれています。


アリータ役のローラ・サラザールの表情や仕草、つまり演技がモーションキャプチャーによって繊細に情熱的に伝えられ、新しいボディで自分の頬をなぜる仕草などを見たときCGとは思えない実在感が感じられました。


そして予告が公開されたときから物議を呼んだ原作コミックスから飛び出したような大きな瞳もCGならでは。


私は予告を見すぎて映画の序盤にはなれてしまいましたが、違和感を感じる人も映画の序盤には気にならなくなるんじゃないかと思います。


キラキラした彼女の大きな目を通して見ると、どこか荒廃しているアイアンシティさえも輝いて見えます。


ヒューゴに見せる恋心、チョコを食べたときの感動や酒場でみせた怒りもアリータの感情が瞳の大きさに比例して3倍くらいになって伝わる気がしました。


本編の主軸にも据えられたサイボーグの少女と生身の人間との恋をメタ的にCGと生身の役者のスクリーン内の整合性。
さらに入子的に考えて全身がモーションキャプチャー用のグレースーツに身を包み、頭には重いヘルメットとカメラ、顔にはこれまたモーションキャプチャー用の大きな点々をつけた女優ときちんと衣装を身につけメイクした俳優が繊細なキスシーンを演じる。


こうしてみると、アリータにはいくつもの挑戦がありそこに想いを巡らせたり、インタビューを読み込んでみるのも面白い見方だと思います。


やがて犯罪の多発、ザレムの監視、アイアンシティの暗い面が露呈されていきアリータの舞台は青春から闘いへと移っていきます。


最近のCGのアクシヨンが軽く感じるのはモーションアクトスがワイヤーで吊られて動いているからではと個人的には推察します。地面に軸足を置かず踏ん張らない状態で蹴りを入れる、パンチすると、その力が込められてない状態でCGが動く。重さを感じられない、つまり軽い動きなのです。


予告を見たとき、戦うキャラクターのほとんどがCGだったのと、アリータは小柄な少女なので身軽に飛んだり跳ねたりすることが多くなります。そうなったとき、アクションは大丈夫なのか?軽くなっていないか?と心配しました。


そして本編のバトルシーンを観て、その心配は杞憂に終わりました。アクションがしっかり重いのです。相手に蹴りを入れる動きも、相手の攻撃を空中で回避する動きも。今回のモーションのメイキング
を観て理由が分かりました。


ワイヤーが使われていないのです。


縦横無尽に襲ってくるグラインドカッターを回避行動など、こんな動きできるの?って言うくらい腰を捻って飛び回り、酒ビンを二本、1度のジャンプで左右に蹴り飛ばすアクションを重心をぶらさず着地。ワイヤーがないのでふわーっとした着地にならず重みのある着地になっています。


恐らくワイヤーは一部のシーンでは使用されているとは思います。建物二階以上の高さを飛んだりしていたので。それでも着地までの安全な高さからはワイヤーを緩めてアクターの重みで着地するなど工夫しているのでは…と推察します。


とここまでは割りと褒めが多かったのですが、ここからは少し、いやかなり気になった物語の構成、つぎはぎ感について突っ込んでいきます。


この映画は本当に細かいところまで、原作コミックである銃夢(がんむ)への過剰なほどリスペクトが溢れています。今回の映画の物語は原作の3章分ほど詰められています。一章をマカクとの対決(映画では苦グリュシュカ)。二章をザレムを目指すユーゴとの青春(映画ではヒューゴ)。三章ではモーターボールでチャンピオンジャシュガンとの対決。


映画では原作の二章のヒューゴとの青春が物語の主軸としてそこにグリュシュカとの対決やモーターボールが絡められて、原作リスペクトのあまりかてんこ盛り過ぎて、ストーリーとしての調和がとれていませんでした。


何よりアリータとイド以外のキャラクターの背景が薄く描写も薄い。メインの適役グリュシュカはただの筋肉バカだし。


ヒューゴが犯罪を犯してまで切望するザレム行きの動機は最後まで不明のまま。そもそもアイアンシティが楽しそうな街のように見えるし、ヒューゴは仲間たちと楽しそうに暮らしてるしさ。なんでそんなにザレムに行きたいのか…。


CGであるアリータが一番人間らしく魅力的だったことは皮肉すら感じました。


黒幕であるディスティ・ノヴァにいたっては明らかなノイズ。出さない方が良かった。アニメ版のオリジナルキャラクターのイドの奥さんも物語上の必要性は感じられず。


それでもモーターボールのあのスピード感や迫力、原作でもあったヒューゴとの出会いのシーンでサイボーグのボディに恥ずかしさを感じ、腕を背中に隠す所を描いてくれただけで胸がいっぱいになりました。


原作漫画が好きすぎて辛口なことも描きましたが大きなスクリーンで見るべきエンターテイメント映画だと思います。未見の方は劇場に是非足を運んでください。