日々雜雜談談

映画や本の分析。日常で感じたことの集合体

餃子を包むのは写経にも似た精神のリラクゼーションをもたらす

日々を仕事にプライベートに忙しく過ごしていると無性に餃子を作りたくなることってない?

お店の焼き餃子は油が合わないのか肉質のせいか、6個も食べたら口が欲しくなくなる。でも家で自分で包んだ餃子ならいくらでも食べれる。お腹ていっぱいになっても、口が欲しがる。自分で野菜を切って肉だねをつくり、皮で包んでごま油でパリパリの焼き色つける。二杯酢なんかにつけて食べたらもう何物にも変えがたい至福の時間だ。

しかし自分は本当に餃子を食べたいから餃子を作るのか?衝動的に沸き上がる餃子への渇望は美味しいからだけなのか?


ある日嫁の実家に自慢の餃子をつくりに行った。いつもの3倍、75個もの餃子を包む。これだけいっぺんに作るのは初めてのことだ。包む前は75個かぁ大変だろうけど頑張るぜ!という心構えだった。しかしだ、包み始めると20個を越えた辺りから不思議な感覚を覚えた。
口数が減り、嫁の家族の声が遠くなり、ただ餃子を包むために手を動かす。ふだんは散らかっている頭や心は空っぽになっていった。

まるで起きながら眠っているような不思議な心地。休めたくても休めることの無い脳がリラックスしているようだ。


気がつくと75個の餃子が包み終わっていた。
我ながらすごい集中力だ。
仕事でもこんなに集中したことがない。

昔これと同じような静かな集中力を得た経験した。うだるような暑さのなか、鎌倉のお寺で写経体験をした時だ。

友人二人と通された四畳間。
写経を書き進めるうちに心の波が静まり、周囲のざわめきも隣の友人たちも遠のいていく。
やがて筆先から宇宙が拡がりまだ見ぬ心理に近づいていく。

これだ。

餃子を包むことは宇宙の心理に近づくことだったのだ。

皮に水で縁取り、肉餡をスプーンで詰め、ひだを作り閉じる。その繰り返し。単純な作業だからこそ頭や心を空っぽにして集中することができる。

あの夏の日、お寺で体験した神秘体験を家の台所で追体験できた。

最近、写経がちょっとした流行を見せている。だけどお寺まで行くのは面倒くさいという人は餃子を包んでみてほしい。写経同様チャクラが開き、リラックス効果も抜群。

そして出来上りの餃子が美味しければ、その日はきっと良い一日になることだろう。




オススメレシピ
・餃子の皮25枚
・ひき肉150g
・白菜150g
・キャベツ150g
・塩大さじ半(白菜とキャベツを細かく刻んだものにまぜ10分おく)
紹興酒大さじ1
・醤油小さじ2
・ごま油小さじ2
・にんにくひとかけ
・しょうがひとかけ